ブフォン論争

英:War of Bouffon   仏:guerre des Bouffons

   1752年にパリの音楽界をわかせた歴史上有名な論争。

   この論争を通じてパリの音楽人と音楽愛好者は完全に二分され、リュリ、ラモーなどの
   伝統的なフランス・オペラを支持する側と、イタリア風のオペラ・ブッファを指示する側
   (喜歌劇・道化オペラを支持する側にはルソーなどの文人などが多かった)に分かれて
   互いの優劣を争った。

   事件の直接の発端になったのは、その年にイタリア役者の一団によってパリで上演
   されたペルゴレージの傑作とされるオペラ・ビッファ「奥様女中」(1783)である。
   国民的なオペラを指示する側には国王の他マダム・ド・ポンパドールをはじめ多数の
   有力者が含まれ、イタリア・オペラを指示する側には、皇后の他ルソー、ダランベール、
   ディードロ等の文人が加担した。

   この論争を通じて、イタリア・オペラの方が一層旋律的に豊かで表現に富み、自然であ
   ると主張した。
   なお、ルソーはこの機会に自らフランス音楽の進むべき方向を説明した「フランス音楽
   論」(1753)をあらわし、また、その主張を具体化した作品として「村の予言者」(1752)
   を発表した。

   歴史的にはこの作品を機縁として、フランス・オペラ・コミックの輝かしい未来が開かれ、
   また、その伝統の基礎を築くにあたって、イタリアのオペラ・ブッファが大きな刺激を与え
   たことは事実ある。

   しかし、それは必ずしもイタリア音楽の支持者の主張が正しかった事を意味するのでは
   ない。フランス劇音楽の代表として選ばれた作品が、いわゆる抒情悲劇の伝統に属する
   グランド・オペラであるのに対し、イタリア・オペラの代表として選ばれた作品は、グランド・
   オペラとは本来性質を異にするオペラ・ブッファの作品であったからである。  



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