チェコスロヴァキア音楽

英:Czecho−Slovak music   独:tschechoslowakische musik

チェコスロバキアは第一次大戦後に出来た国で、その前には永くオーストリアの圧制的な
支配を受けていたが、しび時代にも古くからの固有の音楽を育成してきたので、特有の
民族音楽に富んでいる。
但し、それは外国の影響も多分に受けているし、地方によってもかなり違っている。

西部のチェコ(ボヘミア)は、9世紀頃には主としてビザンチンの音楽を行ったが、10世紀
頃からはグレゴリオ聖歌を重んじるようになり、12世紀頃にはこれに基づく自国語の賛美
歌もできた。

ドイツのミンネゼンガーの刺激で14世紀には世俗的歌曲が盛んになったが、特別の
賛美歌もできたし、外国の影響も入ってきた。

15世紀の始めには、J.フス(1347〜1415)が愛国的な運動を起こして、これは失敗に
終わったが、これに刺激されてJ.ブロホスラヴ(1523〜71)その他が国土的な歌集を
出すようになった。
この頃には、ネーデルランドの音楽も紹介された。

その後にはバロック音楽も入り、同時に、シュタミッツやベンダ等ドイツ的な作曲家も出た。

19世紀になってロマン主義が伝えられ、自国の音楽文化の尊重を教えられてから、民族
主義音楽は勃興した。
その最初の代表者はF.シクロウプ(1801〜62)で、チェコ語の最初のオペラ「ドラテニ
ク」を書いた。しかし、その様式はまだ完全にチェコ化していなかった。

チェコの音楽を完全にチェコ化したのは“チェコの音楽の父”と言われるスメタナ(1824〜
84)である。彼はリストの指導を受けて西洋化したが、チェコの民族的芸術音楽の樹立の
ために多面的に活動して成功した。

また、ドヴォルザーク(1841〜1904)もチェコ音楽を進めた最も有力な大家の一人である。
現代では大胆なマルティヌー(1890〜)やヴァインベルガー(1896〜)等が世界的に
知られている。


中部のモラヴィア(メーレン)の音楽は、空想的で抒情的なチェコのものと違って著しく
現実的で強烈である。その性格は、前世紀の中頃にP.クルジズコフスキー(1820〜85)
によって認識され、継いでL.ヤナチェック(1854〜1928)によって芸術化された。
彼のオペライエスファ」(1904)は、モラヴィア風に強烈である。彼はその他にも多くのもを
作曲して、大胆な様式を示した。
なお、モラヴィアからは、4分音や6分音を主張したハーバ(1893〜)も出た。


東部のスロヴァキアは、永くハンガリーの影響を受けて北が、まだ特有の民族音楽を失わ
なかった。にも関わらず、ここからは特に挙げる程の民族主義的大作曲家も出ていない。
J.L.ベラ(1843〜1936)は、その複音楽でやや知られているが、様式的には大して
目立っていない。



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