ドイツ音楽

英:German music     独:deutsche Musik
仏:musique allemande   伊:musica tedesca

ドイツの音楽には、普通に、オーストリア、チェコ、スイス、ドイツ語地域の音楽も含まれる。
ドイツ音楽は、世界で最も優れた音楽の一つと言われているが、その発達は必ずしも古くはなく、
イタリアの音楽等に比べると、かなり新しい。

ドイツ人は音楽が好きで、ローマに支配されていた頃にはローマの楽器を習ったが、一方では
固有の音楽も行った。

ローマの宗教が伝えられてからドイツ人もグレゴリオ聖歌を教えられたが、そのイタリア風の性格に
満足できず、特に、母音に多くの音を当てたメリスマの方法は不適とされ、旋律の各音に一綴音を
当ててドイツ化する運動が起こった。
1568年に教皇から聖歌を乱すものとして禁止されたが、それでも数種のものは許された。

ローマの滅亡後はドイツに流れたローマの芸人が主となって吟遊詩人が起こり、12世紀には、
フランスの影響によってミンネゼンガーが教区外の音楽を行った。
これは封建制の騎士のうちで作詞・作曲・歌唱をした者で、専門家ではないがドイツの世俗音楽を
高めた。

次の世紀にはマイスタージンガーが盛んになった。これは商工業者の中で音楽競技会に優勝した
者で、専門家ではないので独創性に乏しく、ミンネゼンガーの亜流だが、世俗音楽の普及には功績
があり、16世紀まで続いた。

ドイツ人は和声を好み、複音楽を持つに至ったのは他国よりもかなり遅く、記録によると14世紀に
なってオルガヌム風(ポリフォにーでは構成するという意)なものが見られる。間もなく多声音楽が
続き、15世紀には複音楽が書かれた。

ルターが宗教改革をして(1817年以降)、教会に新教教会の衆賛歌を用いるようになり、これが
ドイツ音楽の重要な基礎の一つになった。ドイツの民衆音楽として広まったばかりでなく、オラトリオ
やカンタータにも中心の音楽となり、オルガン音楽の重要な分野も開拓した。

16世紀の末には、色彩家といわれる作曲家達が有鍵楽器の音楽を発達させた。

17世紀にはバロック様式が起こり、単音楽と多声部音楽が共に発達した。この時代には器楽も
発達し、多くの大家が衆賛歌前奏曲、フーガ、クラヴィーア曲などを進歩させた。
これらはバッハで頂点に達した。同時代にヘンデルも出たが、彼は主としてイギリスでオペラと
オラトリオを作った。

バッハ没後、クラシック様式が起こり始めて、主旋律に簡素な伴奏をつけたもの、明快な形式を
重んじたものが主となった。
当時の優れた音楽家達が、クラシック風なソナタ形式を完成し(マンハイム楽派、C.P.Eバッハ等)
管弦楽法をクラシック化し(シュターミッツ)、オペラをクラシック化してドイツ風にし(グルック)、弦楽
四重奏曲、交響曲とオラトリオをクラシック化し(ハイドン)、モーツアルトが洗練し、オペラを一層
クラシック化した。
続いてベートーベンがすべてのものを形式的に拡大し、内容的に深めて、更にそれを一歩進め、
ここでドイツは世界の音楽界の頂点に達した。

その勢いは次のロマン主義時代にも続いた。
ウェーバー(オペラ)、シューベルト(器楽と歌曲)などが初期の花を咲かせ、メンデルスゾーンや
シューマン等の中期ロマン主義が私的な、個人的な作品を生み、リストやワーグナーの新ロマン
主義まで進んだ。

その後、新ロマン主義は各国に広まったが、ドイツでは無調の表現主義に走り(「シェーンベルグ
など)、やがて十二音音楽の基礎を作り、門下のベルクによって大成された。

近代ではかなり保守的な作曲家も出ているが、マーラーなどの先端人も出ている。

ドイツの音楽は、技巧の興味におぼれず洗練と典雅を偏重せずに、ひたすら深さと真剣さを求め、
内容を重んじる。



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