比較音楽学
英:comparetive musicology
独:vergleichende Musikwissenschaft
古今東西にわたる音楽を比較し、音楽の可能性を実証的に探求することを目的とする 新しい音楽学の一部門。 20世紀初頭にその名が生まれ、始めは非欧米民族音楽を相互に比較研究する音楽 人類学(ethno−musicology)として出発した。 今日でも比較音楽学と音楽民俗学とは同義であるとする説(クンスト博士等)もあるが、 必ずしもそのように狭義のものとすることはない。 比較音楽学の発達は四期に分けて考えられる。 1.比較音楽学以前17世紀以来、欧米人の植民地の音楽の調査研究や古代東方の 音楽の考古学発掘によって非欧米音楽に関する知識と資料が集められ、器楽博 物館における系統的分類の再検討が問題となった。 イギリスのカール・エンゲルの「最古の諸民族の音楽」、「世界の楽器」(1875、田 辺尚雄訳)等がその始めである。 民族学者、民族心理学者のアフリカ、大洋州の自然民族音楽の調査が起こり、音 楽民俗学が現れた。 進化論的音楽始原論等その中心問題となり、代表的著述としてヴァラシェクの原始 音楽(1893)がある。 2.ドイツにおける比較音楽学の成立は、ウント、ヘルムホツルに学んだイギリスのエリ スの「諸民族の音階」(1885、門馬直美訳)を契機とする。 エリスは古代ギリシャ、東洋諸国、アフリカの音組織を実測し、五声音階と七声音階 に分かち、タイが七等分平均律、ジャワが五平均律を用いることを指摘し、また、セ ント算法を提唱した。 この論文に刺激されたドイツの音響学者カール・シュトゥンプフは民族音楽の科学的 研究を始め、まず、正確な資料の蒐集法として発明されたばかりの蓄音機を利用して 録音し、採譜することをはじめ、1902年ベルリン大学にPhonogramm archivを設 け、O.アブラハム、E.M.フォン・ホルンポステル、E.フィッシャー、W.ヴェルトハイ マー、R.ラッハ、R.ラッハマン、J.ノルリント、C.ザックス、M.シュナイダー等の協 力者、後継者をもった。 中でもホルンポステルは音階音律の発生過程の原則についての大きい業績があり、 多音性についてのシュナイダーの研究も目立つ。 3.クルト・ザックス博士を中心とする、比較楽器学(vergleichende Musik-instru mentenkunde)は比較音楽学の最も実りの多い部門で、これは19世紀以来楽器 博物館の民族楽器蒐集の分類法研究に始まる。 ブリュッセル国立音楽学院博物館のV.Ch.マイヨンは従来の三分類(管弦打)を もっては世界の楽器を分類するには足りないことを知り、四分類(体鳴、膜鳴、気鳴、 弦鳴)を創めた。 ホルンボステルとザックスは四分類法を徹底的に科学化し、楽器組織学(Systhe matik der Musikinstrumente 1914)を作製した。約300項目によるあらゆる 楽器を収めることを考えたものである。 この四分法は後に電鳴楽器を加え五分類となり、H.ドレーガーの修正案も出たが 広く行われ、A.シェフサーの分類法と体何時している。 ザックス博士は「楽器百科辞典」(1911)、「楽器の精神と生成」(1929)を著し進化 論的な楽器発生史を大成した。 4.1940年までの比較音楽学は大体自然科学的な考え方の上に立ち、音楽民俗学の 傾向が強かったが、渡米したザックス博士の楽器史(1940)では比較音楽史の方 面が開拓され始めた。 「東西古代世界の音楽の発生」(1943)は古代中世音楽についての研究である。 両著共に方法論としても史実考証の上でも問題があり、比較音楽史は出発したばか りであるといえる。 比較音楽に対し音楽民俗学を主張するオランダのJ.クンスト、ストックホルムのE. エムシャイマー、パリのA.シェフナー博士らを含めて民族音楽研究の国際的組織が ロンドン、ジュネーヴ、パリ等を中心として活発に動き始めたのは最近の著しい傾向 である。 要するに、比較音楽学は従来の西洋の音楽学に知られていなかった音楽のあり方 を提示し、殊に音楽理論、音楽史、楽器学の面で基礎的に考え直すべき諸点を明らか にしつつある。 比較音楽史によって音楽史は世界音楽史の新生面を拓くことになる。 |
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