ハンガリー音楽
英:Hungarian music 独:ungarische Musik 仏:musique hongroise
ハンガリー民族の祖は9世紀にウラル・アルタイから移住し建国、中世の全期間を通じて次第に キリスト教化し、ヨーロッパ化したが、周囲のヨーロッパ民族とは特色を異にしている。 固有の民族音楽に教会的な要素が取り入れられたが、これは今日でも教会調の民謡に姿を とどめている。 15世紀、イタリア、ドイツ、フランスなどを通じてルネッサンス時代のネーデルランド(イタリア 楽派)のポリフォニー等の影響を受け、ハンガリー文化の頂点をなしたが、16世紀中頃、トルコ 群の進入によってこの文化は壊滅した。 17世紀にはトルコから解放され、18世紀にかけて文化の復興が行われた。ラコッツィ王の宮殿 には多くの学者、音楽家が召し抱えられたが、中でも天才的な女流詩人・音楽家バンナ・ツィン カが最も有名である。彼女の詩にバンナの父バルナ・ミハイルが作曲した「ラコッツィ哀歌」が有 名な「ラコッツィ行進曲」の原型であるとわれている。この「ラコッツィ行進曲」は対ナポレオン戦争 の時に歌われたというが、暗い情熱に満ちた旋律は多くのハンガリー人の国民的情熱をそそり、 多くの音楽家達、ベルリオーズ、リスト、フェレンツェ・エルケルの編曲がある。 このリストとエルケルが近代ハンガリーの最初の大音楽家である。 とりわけ、全ヨーロッパ的な活動をしたリストの影響で、19世紀末に国民主義的な多くの音楽家を 生みだすことになった。 コシュート革命の失敗後19世紀の中頃からオールトリア帝国の支配下におかれることになった ハンガリーには、ドイツ音楽の影響が圧倒的となった。特権階級のサロンではジプシーの楽団に よる「ハンガリー民謡」の演奏が行われ、これが全ヨーロッパにハンガリー音楽として紹介されて いった。 19世紀の終わりに、バルトークとコダーイがハンガリー農民音楽を発見・収集し、素朴なアジア的 な郷愁を感じさせる真のハンガリー音楽をもとにして彼等の音楽を築きあげた。 第一次世界大戦によりオーストリアから独立後、二人の名も有名になった。 |
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