マンハイム楽派

英:Mannheim  School  独:Mammheimer  Schule  
仏:ecole  de  Mammheim

     H.リーマンによって再認識させられた18世紀中葉の楽派でプファルツバイエルン
     選皇帝カルル・テオドール(1743〜99)の居城のあるマンハイムで活躍した一団の
     器楽作曲家を指す。
     従ってプファルツバイエルン楽派とも呼ばれる。

     マンハイムの宮廷は、当時最も音楽的に優れた宮廷で、候の管弦楽はヴェルサイユ
     宮のそれに範をとり、フランス喜劇、イタリア歌劇、週2回の音楽集会が開かれた。
     ボヘミアからはJ.シュタミッツ、A.フィルツ、モラビアからはF.X.リヒター、ウィーンか
     らはホルツ、バウアー、イタリアからはトエスキ兄弟、ダンツィなどのように各地から音
     楽家が集まった。
     カンナビヒ、カルル・シュタミッツ、アントン・シュタミッツ兄弟、フォークラー、F.ベックなど
     の楽人は次の代に活躍して、ミュンヘン、ダルムシュタット、ボン、ウィーンなどにマンハ
     イムの名を輝かせた。

     この楽派の作曲家達の重要性は、その作品が優秀であるということよりも歴史的位置、
     つまり交響曲様式の原理の真意義の重要性を理解し捕らえた点に置いてある。



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