ミサ

英:mass   独:Messe   仏:messe   伊:messa   羅:missa

   語源はカトリック教会で礼拝終了の時に司祭補が Ite missa est (去れ、会合は終わりぬ)と
   唱った事実による。つまり、ミサは本来教会の会合である。

   マタイ伝26の示すように、イエスは死の直前“最後の晩餐”でパンとブドウ酒を祝し自分の体と血
   にかえて使徒達に与え「これをわが記念として行え」と遺言した。これが最初のミサであり、以来
   この遺業は司祭の手に受け継がれて続いている。
   故にミサには聖変化と聖体拝顔の二つの重要な要素が指摘されるが、すでに福音史家は聖餐後
   使徒達が賛美歌を唱ったと記している。

   このミサが次第に一定の儀式に発達したのであり、そのある部分が歌われる習慣はローマ教会
   ですでに一般化していた。
   儀式は準備的部分である祈り、奉読、説教と、本質的部分である奉献、聖変化、聖体拝領に分け
   られる。祈る、聴く、捧げる、授かる、という調和の中に行われる。
   このうち唱われるものは主に祈りの部分であり、このことからも音楽上のミサが「祈り」であったこ
   とは明らかである。

   まず、告白の祈り(コンフィテオール)で罪を痛悔し「キリエで神の部屋の扉をたたき、栄光誦(グロ
   ーリア)であらわれた神に挨拶の賛美をし、それから集祷(コレクタ)によって恵みを願うのが本来
   の意味である。
   こうして神の部屋に案内されるが、その祈りを叶える前に神は彼らをさとす、これが説教であって、
   それを信じるという答えが信経(クレード・信仰告白)である。

   本来の古いミサ曲は plain song であり、グレゴリオ聖歌として記録されている。また、多声音楽
   時代に入る前にはいわゆるMissa de Angelis(ミサ・デ・アンジェリス) と呼ばれる後期の plain
    song ミサが存在した。これは15世紀以来のもので、英、仏のカトリック教会で盛んに唱われたが、
   フランスでは後に、より古い純粋な聖歌への愛好心が強くなったために見捨てられてしまった。



   対位法が用いられるようになってから作曲家達は plain song の旋律を競ってポリフォニックのミ
   サに編曲し、それらは二部、四部、六部、八部、十二部から四十分合唱のものまで現れた。
   このようにして、これらに関する教会音楽の教本も優れたものが出るようになり進歩を重ね、16世
   紀後半に至って未曾有の芸術的発展と、美的完成を示した。

   これらのモティーフに選ばれた礼拝中の部分は前記Kyrie(キリエ)、Gloria(グローリア)、Credo
   (クレード)の他にSanctus(サンクトゥス)、Benedelictolusu(ベネディクトウス)、Agnus Dei
   (アニュス・デイ)の六楽章で、これが現在に至るまでに普通音楽上ミサと呼ばれる。

   単純な plain song の旋律は述語定旋律という。しかし定旋律は必ずしも聖歌とは限らない。希で
   あるが芸術の隆盛期にあっては、例えば有名なミサ L’Homme arme がフランスの恋歌を基と
   とし、このテーマをジョスカン・デ・プレやパレストリーナなど多くの作曲家達が扱っているように一般
   の古歌からとられたものもある。
   希には独創的なテーマも選ばれ、Missa sine nomine とか Missa brevia、 Missa ad 
   Eugan、 Missa ad Canones と呼ばれた。
   この形式のミサは普通のミサに用いられ、あまり長いものはないが、パレストリーナのもの等非常に
   美しく各パートが完全な効果を示している。
   この他にジョスカン・デ・プレ、アンドレア・ガブリエリ、プロスクなど15、16世紀の作曲家達に例が
   多い。

   その音階によってMissa Primi Toni、 Missa Quarli Toni、 Missa Octavi Toni など
   と名付けられたり、使用される声の数により Missa Quatour Vocum などと呼ばれた。
   ごく希にはミサ全体が hezachord のと久遠により構成され、非常に美しい効果をだしているもの
   もあり、Missa ut、re、mi、fa、sol、la または Missa Super Voces musicales と名付けら
   れている。
   この例として有名なものがジョスカン・デ・プレ、パレストリーナ及びフランチェスコ・スリアーノなどに
   みられる。  



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