ナポリ楽派

英:Neapolitan school   独:neapolitanische schule

   17世紀の初めにフィレンツェでオペラが起こって以来、イタリアではモンテヴェルディの活動と共に
   ヴェネツェアがオペラの中心になり、また、17世紀の半ばから後半にかけては、フランスではリュリ、
   イギリスではバーセル、ドイツではハンブルグ楽派を擁して、それぞれ国民的なオペラが栄えたが、
   18世紀になってそれ等の勢力が衰え、西ヨーロッパで、ただ一つの様式のオペラによって支配され
   るようになった。それはナポリ楽派である。

   ナポリ楽派という言葉は、この楽派の基礎を開いたスカルラッティ、それ以後のベルゴレージ、
   ポルポラなど、その多くがナポリ出身だったことによる。

   ナポリ楽派のオペラの一つの特徴は、オペラの構成がレチタティーヴォとアリアの分離と規則的な
   交替を原理としていることである。

   レチタティーヴォとアリアは通常組み合わされて一つの場を形成するが、レチタティーヴォの部分では
   俳優は劇中の人物として他の登場人物と共に対話の筋を運ぶのに対して、それに続くアリアの部分
   では、その場に相応しい演技を舞台上の共演者に対してよりも、むしろ観衆に向かって伝える役割を
   担うのである。この間劇の進行は停止する。

   このことは音楽的にいえばアリアが劇の中心を占めることを意味し、同時にオペラの中で歌手が重要な
   地位を占めることを意味している。
   事実、今日ならば作曲者が果たすべき責任の大きな部分は歌手にゆだねられていた。
   作曲者は輪郭の暗示を与えるにすぎず、芸術的な仕上げを与えるのは歌手の仕事であった。

   アリアの各節ごとに現れるカデンツをはじめ、ゆるやかな音符で素描的に書かれている旋律に、コロラ
   トゥーラを挿入する即興的な技巧などはすべて歌手の才能と個性に課せられた任務であった。

   今日ナポリ楽派のオペラが全く演奏されなくなったのは、当時の作品構成や興味や因習等が現代には
   受け入れ難いことが原因であるが、カストラートを予定して書かれた主演俳優のパートが現代では実際
   には歌うことが出来ないのも一因である。



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