ポーランド音楽
英:Polish−music 独:polnische Musik
仏:musique−polonaise 伊:musica polacca
ポーランドには古くから多くの性格的な民族音楽があるが、それを芸術的に活かした民族主義の音楽は 19世紀まで起こらず、外国の影響を受けていた。 ポーランドの最初の優秀な作曲家はニコラウス(15世紀の前半と言われている)といわれているが、 まだポーランド的ではない。 16世紀の作曲家達は大体ネーデルランドの様式に従っていた。 しかし、間もなくパレストリーナ様式やドイツの影響などが入った。 ジギスムント三世(ワルシャワ、1587〜1632)の時、ローマのM.スカッキを指揮者として宮廷内に オペラ場が出来たが、政情不安のために長いこと休止状態にあった。 18世紀の終わりにM.カミエンスキー(1734〜1821)が出て、オペラを書いて音楽会に世紀を与え、 J.コッロフスキー(1765〜1833)等はポロネーズを書いた。 この頃からポーランドも自国の民族音楽を芸術家することを臨むようになったが、容易には実現しなかった。 その頃、ドイツ系のヴァイオリン奏者J.エルスナーがオペラや器楽曲等を作り、音楽学校を設立して校長 になり、ショパンにも教えた。 この頃からポーランドには民族主義的な音楽が起こったが、ショパンはそれをロマン主義的な手法で高め、 一層洗練させた。 少し遅れて、世界的な演奏者達が出るようになり、彼等は民族主義的な歌曲やオペラ、室内楽、ヴァイオ リン協奏曲、ピアノ曲等を書いた。 続いてパデレフスキー(1860〜1941)が世界的ピアニストとして活躍したが、数種類の作曲もした。 その後にはK.シマノフスキー(1883〜1937)が大胆な無調音楽も書いたが、また民族音楽も重んじた。 |
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