ロマン派音楽

英:romantic music       独:romantische Musik
仏:musique romantique   伊:musica romantica

人間は夢想している時は神、思索している時には乞食」というのが、19世紀に全ヨーロッパに起こった
文芸上の新思潮であったが、音楽を含む諸芸術の領域にもこの傾向が現れた。

ロマンティシズム音楽の現れはウェーバーの「魔弾の射手」(1820)だった。彼はドイツの民族伝説に
基づいて極めて幻想的なオペラを書く他、ピアノの為の「小協奏曲」にも想像的な標題をつける等、音楽
上のロマン主義の特徴を幾つか具えていた。

シューベルトに始まり(ウェーバーも含めて)シューマンから、更にブラームス至る一連の音楽家達は、
いずれも抒情家であり、本質的には小品作家であるという点で、一つの明らかな系列を形作っている。
この流れは初期ロマン派またはロマン派と呼ばれているが、いずれも19世紀のドイツのロマン主義
を最も鮮明に代表しているリート(歌曲)という形式の傑れた作曲家であること、及び交響曲、協奏曲、
ソナタ等の古典形式による大規模な作品を例外無しに作っているにも関わらず、美的価値に従って本
質的には非構成的で即興的な小品作曲家であったこと、などによって特徴づけられる。
ポーランドに生まれてフランスで育ったショパンも、前記のドイツの音楽家達とは音楽の質的な面では
明らかに異なっているが、後者の理由によって同じ系列に加えることが出来よう。

フランスのベルリオーズに始まってドイツのリストやヴァーグナー(ワーグナー)に発展したもう一つの
系列は、文学等の音楽外的なものと結びついて標題音楽を形作った。
この系列は新ロマン派とも呼ばれているが、標題等の言語概念に頼って、音楽の内容を積極的に確
定しようと努力した。

ベルリオーズは交響曲に標題を適用し、リストは更に進んで古典形式を放棄して、標題のみを楽曲の
支柱とした自由な交響詩を作った。

ワーグナーは詩と音楽が舞台において融合した新しい音楽劇(楽劇)という形式を、これまでのオペラ
に代わるものとして創案した。

フランスには初期ロマン派音楽は見られず、ベルリオーズを除きロマン主義の音楽は19世紀後半に
なって自覚的運動として現れた。この運動の中心はフランクとその一派によって樹立された国民音楽
協会であった。
19世紀の後半になると、ロマン主義は後期的な兆候を現し始めた。ワーグナーの音楽をそれぞれの
方向に拡大した。

ムソルグスキーは、ワーグナーによって極点に達した和声に、新しい道を拓こうと試み、後のドビュッ
シーへの影響を用意した。

フランスのビゼーやイタリアのヴェルディは、ワーグナーと共に19世紀のオペラ界の最高峰であったが、
イタリアではマスカーニ、ロンカヴァルロ、プッチーニ等が続いた。
また、フランスではシャブリエ、デュカ等と並んでフォーレがショパン以来のリリシズムのロマン主義的
絶頂を形作り、また和声その他の技術的は面でも多くの点で近代音楽を用意した。



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