ピアノ音楽

英:piano music   独:Klaviermusik

ピアノ音楽の歴史の始まりはオルガン音楽の始めと合一しており、最初の文献は14世紀であるが、主に
声楽曲の編曲(後に舞曲)であり、回音その他の装飾音(こちら)を好んで用いたので「装飾派」と呼ばれ
た(ランディーノ、ホーフハイマー、カベソン、アッテーニャン曲集等)。

その後エリザベス時代にイギリスのヴァージナル(鍵盤付きの古い発弦楽器)奏者達が最初のクラヴィーア
的作品を書いたが、17〜18世紀のフランスのクラヴサン奏者達(シャンポニエール、クープラン、ラモー)は、
ラウテの装飾音を移し持った繊細優美な表題音楽的組曲の分野を拓いた。

また、イタリアの古ヴェネツィア派(ヴィラールト、ガブリエリ、メルロ)はリチェルカーレ、カンツォーナ、トッカー
タ等を創り出していたが、ディルタ、フレスコバルディ、パスキーニからD.スカルラッティーに至って巨匠様式
の和声的一楽章ソナタ(2部形式)が完成された。

オランダのスヴェーリンクは英伊の様式を統合、厳格な様式を持つ北ドイツ派の祖となったが、フローベルガ
ー(近代組曲定型確立)、ケルル、ムルシュハウザー、ムファット父子、クリガー兄弟、パッヘルベル等の南ド
イツ派や、フランス的なK.F.フィッシャー、多楽章クラヴィーアソナタを創始したクーナウ等の中ドイツ派と共
にバッハ、ヘンデルにおける古クラヴィーア音楽の絶頂を準備した。

バッハは伝来の形式を豊かな内容と結合しただけでなく、イタリアのヴァイオリン協奏曲を応用してクラヴィー
ア協奏曲を創始した。

次の世代の音楽の最初の代表者はバッハの3人の子供達であるが、フリーデマンは小曲への道を開き(ポ
ロネーズ)、エマヌエルはバロックソナタを改造して近代ソナタ形式への道を拓いた。クリスティアンはマンハ
イム楽派的方向の上に「歌詞的アレグロ」を推進し、また1768年新楽器ピアノを初めて公開演奏会で演奏
した。
このマヌエル的基礎の上にハイドンは動機的展開の技法と共に近代ソナタ形式を完成してそれに純真闊達
な天才的な力を盛り、さらにハイドンとクリスティアンの基礎の上にモールアルトはピアノ曲の中に豊かな感
情を導き入れ、ベートーベンがソナタや協奏曲を芸術として高め、ウィーン古典派の完成者となった。

その後のウェーバー、シューベルトに始まる文学的な、或いは抒情的な方向の中で、メンデルスゾーンは古
典形式の端正とピアノ的効果の華麗とを結合することによってブルグミュラー、ヒラー、クラック兄弟などの指
導者となり、シューマンはクレメンティ派(クラマー、フィールド、デュセック)、ウィーン派(フンメル、モシュレス、
ツェルニー)、パリ派(カルクプレンナー、タルベルク)等のサロン的方向に対抗しながら、周囲にイエンゼン、
ヘラー、ライネッケ、ズラームス等を集めた。

このサロン的方向(1830〜70)は天才ショパンの作品にも大きな影響を与えたが、更に「古典主義者」ブラ
ームスの北ドイツ的な内面的な世界においてメンデルスゾーン・シューマン的なロマン主義は絶頂に達し、
「巨匠」リストは宗教的詩人的力によって、その絢爛とした管弦楽的効果を高めながら、広大な大胆新奇な
様式によって現代音楽への道を開いた。

1890年頃以来の後期ロマン派の中から国民主義的方向や反ロマン主義的傾向などが現れ始め、中でも
ドビュッシーに始まる印象主義的方向(ダンディ、ラヴェル、ファリャ、デリウス、スコット、スクリャービン、シマ
ノフスキー、レスピーギ、J.マルクス、カルク、エラート、ニーマン)と、ムソルグスキーに触発された表現主義
的方向(シェ−ンベルク、ベルク、ヒンデミット、ブゾーニ、ストラヴィンスキー、ミロー、クシェネック、バルトーク
)とが大きな流れとなった。



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